木島一良さん(66歳)は千葉県長生群長生村で代々農業を営んでいる。木島さんの父親は半農半漁で生活していた。そういう土地柄なのである。九十九里が近くてイワシや生きのいいアジなどが良く獲れる。魚を加工してもいい収入になったのである。
長生村の由来がまたいい。昭和28年に三つの村が郡内で合併した。その時を記念し
て長生きはすばらしいと名付けられたのが長生村である。長生村は房総半島の、九十九里浜に面している。平坦な土地で砂地である。太平洋の黒潮の影響を受け、一年を通して比較的温暖な気候に恵まれている。農業にも漁業にも恵まれた環境なのである。平地条件の良さを生かして稲作・畜産も盛んに行われている。
すぐに現金収入に変わった
長生き村では葉玉葱のトンネル栽培をする生産者が多い。砂地で栽培が楽で、手間がかからないからである。木島さんは周囲の生産者を見て玉葱の生産をした。その他にプリンスメロンも手がけた。時代は高度成長期を迎えていた。作れば売れる時代だった。農作物も例外ではない。千葉や東京の大都市に近いという利点もあった。作った物はすべていい値段で取引された。そういう年がずっと続いた。農業を生涯の仕事にしても充分に成立つと思った。自分で作ったものがすぐに現金収入に変わる事がおもしろかった。
トマトはマイナー
しかし玉葱やプリンスメロンがいつまで続くだろうかという不安があった。生産者が多くなるほど価格は下がる。これが農業の恐いところである。作付けする作物を変えようと考えた。その頃、トマトはメジャーな商品ではなかった。量販店でも片隅みにある商品だった。しかし高度成長のバブル経済はグルメブームをまき起こした。その中でトマトは、注目を集める食材になっていった。用途が広い。生食でもおいしい。次の作物はこれだと確信した。
トマト栽培が大成功
木島さんは決断をしてトマト栽培に切り替えをした。32歳の時だった。トマトも露地ではダメだと思った。高収入を得るには施設栽培にして収穫期間と販売期間を長くしたいと考えた。施設の建設にはいままで貯えた資産を当てた。ちょうどその頃は大阪の万博に世界が注目した時期である。好景気の追風もあつてトマト栽培は大成功した。しかし、いい事ばかりは続かないものである。せっかく苦労して元手をかけて作ったビニールハウスが大風で大打撃を受けてしまった。これではいけないと反省して風が吹いても大丈夫なようにしっかりと補強をした。これで少しの風が吹いてもビクともしなくなった。ひと安心である。
風の被害はあったものの商売は順調だつた。作れば高値で売れたのである。木島さんは以前からお客様直売をしていた。農協にも出すが、お客様に直接売るのがおもしろいのである。直接話ができる。声をきくことができる。自分の栽培にも役に立ったがトマトを作ってよかったと心の底から思えるのである。お客様はありがたいと骨身に染みて思うのであ
る。
施設の建設は好景気の風にのって拡大をした。昭和47年には、300坪の屋根つきのハウスに建て替えた。さらに、51年には300坪の施設を増設した。さらに、500坪を増設。押しも押されもせぬトマトの施設生産者に育っていった。
揺れる気持ち
商売は順調でも悩みはあるものである。農業は一人ではできない。施設は拡大したものの協力者が足りないのである。木島さんには息子さんがいた。長男の一茂さんである。一茂さんは会社勤めをしていた。心を寄せた女性と結婚もしていた。時代が時代である。無理はできない。子供が出来て間もない頃、家に遊びにきた。トマトの収穫を手伝ってくれと
いうと心良く引き受けてくれた。そんな日が何日か続くうちに一茂さんの気持ちが農業に傾いていった。
農業は働きがいのある仕事
父の作ったトマトを見て、色つやも味もいい。実がぎつしり詰まっているから水につけても浮かばない。近所の奥さん達にも評判は良く、売り出せば飛ぶように売れた。そんなトマト造りをしている父が誇らしかった。父の手伝いをしている内に農業は働き涯いのあるいい仕事だと思えるようになった。奥さんの承諾も得て、自然に木島さんの跡を継ぐ形になった。木島さんの悩みがひとつ消えた。これで大切にしていた先祖の土地が守れる。トマトで成功したよりもさらにうれしい事だったかもしれない。跡を継いだと言っても農業は簡単ではない。肌で覚えなくてはいけない事がたくさんある。
経験も知識も必要なのである。ある時知人から誘いを受けた。ほ場を見に来いというのである。何の事かよくわからなかったが、父とともに出向いて見ることにした。知人のほ場に入って驚きである。雰囲気がまるで違う。農業の臭いがしない。その知人とは、永嶋正光さんである。玄米アミノ酸農法をやっているというのである。
農業の臭いがしない
永嶋さんのほ場にあるナスの葉がとても大きく、張りがあり、空を向いている。色もきれいなナス紺である。ナスをいただいて自宅で食べてみた。また驚きである。糖度があって弾力があった。高熱で炒めても全くへたらなかった。しかもコリコリしていておいしい。トマトも見た。樹勢が強くて実がたわわに実っていた。甘味と酸味のバランスがよかった。これは凄いと思った。
帰宅してから一茂さんと父親とで話をした。玄米アミノ酸農法はやってみる価値があるという結論になった。一茂さんの始めての大仕事である。
最初は300坪のほ場に10アール50kgの玄米アミノ酸 粉体を入れて栽培を始めた。他の所は慣行栽培のままである。比較する意味でも、この方が結果が見えると判断したのである。その結果は明確に出た。まず味が良くなった。固定客のいる木島さんには重要な事である。樹勢が良くなった。根の張りがしっかりしてきた。品質がそろうようになってきた。品質のグレードもアップした。個人客からの人気もさらに良くなった。」Aの選果場にも出しているが、他の生産者とは、見栄えが違う気がするのである。
大きな収穫だった
玄米アミノ酸農法をやるには決断が必要だった。永嶋さんの成功例は見ていても、自分のほ場でうまくいくかどうか心配だったからである。実際にやってみると初期育成が少し遅い以外は慣行農業とはほとんど変わらなかった。特に大きな問題はない。
米ヌカという安心できる資材で出来たことが大きな収穫だった。問題もないわけではない。寒い日が続くと肥料切れになる。その時は溶液栽培に切り換えて点滴追肥している。これは今後の課題である。
玄米アミノ酸の使い方を工夫すれば、解決できる事かもしれない。寒い日が続く中でいいことも発見した。地温が低いと収量が落ちるはずなのに安定した収穫ができるのである。これは玄米アミノ酸ぼかしの微生物効果なのかもしれない。
大きな違いはと聞方れれば
最後に、一茂さんの言葉で締めくくりたいと思う。「いままでに色々な資材の情報があった。それらを色々試してみたが結果のよくわからないものが多かった。玄米アミノ酸は結果がよく見えた。米ヌカの資材で安全・安心・おいしいトマトを作り続けたいと思っている」 玄米アミノ酸は一茂さんのトマト作りになくてはならないものになった。